ほーたです。
最近
ほーたさんだから
京大に受かったんでしょ?
という質問がありました。
僕のことが特別に見えてしまうようです。
確かに特別に見えてしまうかもしれません。
実際に、京大に行く前と行った後で一番の大きな変化は周りの声でした。
今まで僕に批判的だった親も「ほーただから行けたんだよ!」とか
親戚に「ほーたは天才肌だね」とか、
「ほーたは特別やもん」とか言ってくれました。
やはり、結果を出すと
どうしても特別に見えてしまうようです。
個人的には凄い嬉しいことではあるのですが、
僕は特別なのか?と考えてみると
何か違うと感じざるを得ません。
なぜなら
僕は自分の事を一度も
特別だと思ったことがない
からです。
もっというと特別な存在になれなくても
僕レベルには達成できるのでないか
と思っています。
僕の発信を見て知ってる方はいるかもしれませんが、
僕は決して勉強ができたワケでもなく
その才能がある人でもありませんでした。
ただ、愚直にやるべき事をこなし
適切な努力をコツコツ継続したに過ぎません。
それで京大に受かったと思っているので
いわゆる「普通」でも、
もしくは「普通以下」でも、
頑張れば何とでもなるのではないか?
と僕は思っています。
今回はこのような事を
僕のエピソードを交えて話そうと思います。
―――――ほーたの物語ーーーーー
僕が小学生の時はごく普通の子供でした。
何も特別な才能もなければ
特別な強みもありませんでした。
授業中は自由帳に落書きをしてました。
先生にばれない様にして
自由帳を隠して
ポケモンの絵を描いていました。
あと星のカービィ。
授業は全然聞かずに
宿題だけちゃんとしていたごく普通の小学生でした。
テストの出来も普通でした。
点数でいうと70~90点くらいをうろうろしてる程度です。
特別勉強ができる訳でもなく
落ちこぼれてるわけでもない
その程度の実力でした。
この時期は正直にいって
ゲームと野球が好きで
それ以外のことはどうでもいいと思っていました。
なので、才能の差はあまり気にしないで
日々過ごしてました。
中学生になると
親が教育ママに大変身をして
僕に厳しく「勉強しなさい!」というようになりました。
これをきっかけに
僕は小学生のときに「どうでもいい」と思っていた勉強に対して
少し意識するようになりました。
テスト週間はかなり力を入れて勉強していましたね。
で、その結果があまりよくないわけです。
周りは勉強せずに8割なのに
僕は7割くらい。
「あれ?おかしくね?」
自分の方が明らかに
勉強時間は勝ってるのに…
成績に関しては周りの方がいいじゃん。
中学のテストで初めて
周りと自分との差に気づきました。
全てのテストでそのような結果が出たんですよ。
自分の努力を10とすると
周りの努力は5。
でも、自分の結果が5で
周りの結果が10みたいな。
それで親には
「勉強の量が足りてない」
「私が中学の時はもっと勉強してたで!」
と言われ。
そんなこと言われても
何をすれば成績が上がるか
分からないんだよ!!!
と言い返して、ストレスが貯まりに貯まってました。
「自分って何もないな。。。」
周りの能力に対して劣等感を感じ
こんな事を思っていました。
本当は「何もない」わけではなかったんです。
周りの人が自分よりも能力があるが故に
「自分には何もない」と思えて仕方がありませんでした。
高校の時も
周りとのポテンシャルの差
を感じずにはいられませんでした。
中学の周りよりも
明らかにポテンシャルの高い人達が集まってました。
僕は高校受験で
使える時間はすべて勉強に費やしたのですが、
高校の友達は大して勉強をせずに
僕と同じ成績を取ってました。
僕の勉強量が10なら友達の勉強量は3。
そのレベルでした。
周りレベル高すぎだろ。
高校入学した時はこのようなことを感じました。
他にも物理の授業中にそのように感じることは多々ありました。
今でも覚えてるのが
力のモーメントの授業。
教科書の例題を解いてきて!という課題が出たんですよ。
それで日付の関係で次の物理の授業までに
僕が解答を板書する事になったんですよ。
でも、僕はこれが解けなかったんですよね。
だから必死で調べて
学校教材も解いてみて勉強しました。
それで1~2時間くらいかけて考えて
解けたんです。
で、それを友達に言ったら
友達に
え、それくらい
何も調べなくても解けるくね?
と言われました。
理数系が得意な友達ですし、
まあ仕方がないのかな。。。
と思ったものの。
彼が目指してるのは名古屋大学。
僕が目指してるのが京都大学。
僕よりもセンスのある人の志望校が僕よりも偏差値の低い大学。
自分のセンスに悲観的にならざるを得ませんでした。
思い返せば思い返すほど
昔の僕には「何もない」が似合う人間でした。
覚えも悪い。
理解力もない。
人の倍頑張って人並み。
ただ、ひとつだけ自分の才能があるとするならば
ボールを投げる才能でした。
ハンドボールをしてたので
学校内でも早い球を投げることには優れていました。
今はハンドボールを辞めて結構経つので
早い球を投げる自信はないですが、
ドッジボールをするとなると
それなりに活躍できるではないかと思います。
中学・高校の時も
学校でドッジボール大会があったのですが(笑)
そこでは人よりも優れた部分はありました。
ただ、それでは僕はあまり嬉しくなかったんです。
もちろん、投げることは楽しかったのですが、
投げる能力は将来何の役にも立たない。
だから、そこに対する喜びがありませんでした。
僕が欲しかったのはその能力ではなかったんです。
本当はもっと
勉強の才能が欲しかった・・・
問題を読んでパッと物理現象をイメージする力
パッと物事を理解する力
短時間で効果を出せるだけの能力。
このような能力が欲しかったんです。
ただ、現実を見たとき僕にはそれがありませんでした。
すぐには手に入らないものだとも知っていました。
だから僕はそれを受け入れることにしました。
自分はセンスがない。
では何をすれば勝てるのか?と。
僕は学校の先生から勉強法を聞いて試してみました。
「京大の問題は難しいから難易度の高い問題を解くようにしろ」
素直に実践しました。
でも、伸びませんでした。
諦めきれずに続けてみました。
それでも伸びませんでした。
そんな事が半年ありました。
これがちょうど高校3年の時。
それから2年後、
僕は大学受験で合格して
京大生になれました。
率直な感想は嬉しかったです。
親も親戚が喜んでくれたのも嬉しかったですし、
周りの人を見返せたのも個人的には嬉しかったです。
あと
「僕にでも行けるんだな」
って思いましたね。
あんなに勉強に才能がなくて、
周りの人に劣等感を感じて、
投げる以外何もないと思ってた。
そんな僕でも本気で頑張って
正しい努力をしたら京大に受かるんだなって心から思えました。
―――――ほーたの物語終わりーーーーー
この経験を通して
「大学受験で勝つためには特別である必要はないな」
と素直に思います。
確かに、
優れた学習能力
突出した理解力
などがあれば大学受験では勝ちやすいです。
でも、これらがないと合格できないか?と言えばそうではありません。
特別な強みがなくても
正しい努力をすれば成績は伸びますし、
志望校に受かることが出来ると僕は考えています。
もっと言うと「特別」になれるかどうかって
その人次第な部分が大きいです。
僕は自分は特別ではない。
ただの凡人だと思い続けて勉強をしたら
いつの間にか「特別」と
言われるようになりました。
これって元々僕が特別だったのはなく、
後天的な努力によって「特別」と言われるようになったのです。
「自分には何もない」と思ってる方も
今は何もないと感じるだけで
これから努力をしていけば
必ず人が羨むような能力を発掘することができます。
何もない大地にも
種を植えて
水を上げたり世話をして
花を咲かせればお花畑になるように。
才能というのは
日頃から鍛え続けることで開花するものです。
日本語をしゃべる能力も
足し算・引き算などの計算力も
人とコミュニケーションをする能力も。
勉強も例外ではありません。
頑張ったら頑張った分だけ
成績が伸びると思っています。
大学受験を通して
こんな事を感じました。
「自分には何もない」
と思ってる人へ
いいんですよ。僕も才能はありませんでしたから。
でも、僕は努力はしました。
そしたら結果は出せました。
才能ってのは後天的に開花するものですし
今自分がしてる努力は今後自分の才能を開花させるための肥料になっています。
大事に大事に育てることでどんどん力がついて
1年後には今の自分とは見違えるほどの自分になってることでしょう。
僕がそうだったので間違いありません。
今日は熱くなって
結構な量を書いてしまいました。
この記事で背中を押される人が少しでもいてくれたら嬉しいです。
良ければ感想もお待ちしてます。(^^)
それでは。
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僕は受験生の時、物理の偏差値を80近くまで伸ばし、京大模試で1桁を取り、京都大学に合格しました。
しかし、これは順調に伸びたのではなく、あるコツをつかむことが出来たからです。
その一番のきっかけになったのを力学の考え方にまとめました。
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